「キャリアの大部分は、予想外の出来事によって決定づけられる――」
これが、20世紀末に提唱された「計画的偶発性理論」の主張です。
実際、近年はリーマンショックや新型コロナウイルスの流行など、予想だにしなかった出来事が連続しています。先読みの難しい社会情勢においては、社員一人ひとりに将来の目標を明確に決めさせることは困難です。だからこそ、いかに「偶然を引き寄せる努力」を社員に促せるかが、企業の命運を決めると言っても過言ではありません。
そこで今回は、キャリア論の第一人者でいらっしゃる野田稔教授(明治大学専門職大学院)をお招きし、計画的偶発性理論を人材のキャリア形成に活かす手法についてうかがいました。「偶然を味方につけさせるには、越境的学習を促すべき」と教授は語ります。果たしてその真意とは何なのでしょうか。
ちなみに本稿は、前半で「計画的偶発性理論」の意味や成り立ちの背景、後半で野田教授による「越境的学習のすすめ」について紹介します。計画的偶発性理論について基礎から応用まで理解できる【特別版】となっていますので、ぜひ最後までお付き合いください。
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そもそも「計画的偶発性理論」とは、どのような理論なのでしょうか。
ここでは、理論の生まれた背景も含めて計画的偶発性理論の概要を解説します。
計画的偶発性理論(プランド・ハップンスタンス・セオリー)とは、「キャリアにおける大部分は偶然の出来事によって決まる」という理論のことです(※)。1999年にクランボルツ、レビン、ミッチェルの三氏によって、心理学の学術誌内で発表されました。同理論で解説されている内容は、以下のようなポイントにまとめることができます。
◆偶然の出来事によって、新たなキャリアの選択肢が生み出される可能性もある
◆チャンスを味方にできるよう、変化に対する柔軟性(オープンマインド)を持つことが重要である
◆積極的に学習し行動することで、チャンスを引き寄せられる可能性も高まる
キャリアにおける出来事はあくまで偶然ですが、チャンスをつかめるような場に足を運んだり、勉強して備えたりすることは可能です。つまり、「偶発性は計画的に引き起こせる」という意味が同理論には込められています。
※論文の原題:Planned Happenstance: Constructing Unexpected Career Opportunities
計画的偶発性理論では、理論の裏付けとしてアメリカの著名なスポーツエージェント(法定代理人)を実例に挙げています。そのスポーツエージェントはもともと地方検事局で働きたいと考えており、スポーツ業界への就職希望はありませんでした。ですが、たまたまサッカーチームの選手たちが同じ寮に引っ越してきたことを機に、彼はアスリートたちと知り合いになります。結果的にサッカー業界へ誘われ、エージェントになったのでした。つまり、たとえキャリアの目標を立てていても、ふとした出来事で別の方向に進むこともあるということです。
計画的偶発性理論が発表された当時、キャリア形成については「目標を明確に定めてから、学習・行動すべき」という考え方が主流でした。しかし、時代の激しい変化に伴い、個人が将来を予想することは難しくなっていきました。予期せぬ職業が生まれたり、既存の職業が消滅したりして、個人がキャリアを決めづらくなったのです。そこで、従来のキャリア形成理論に対するアンチテーゼ(反論)として、計画的偶発性理論が発表されました。
計画的偶発性理論の内容は、ときに誤解を招くことがあります。それは、「キャリア形成では、ただ偶然に身を任せればうまくいく」という誤解です。しかし、計画的偶発性理論で推奨しているのは受動的ではなく、能動的なキャリア形成です。同理論では、「キャリアを充実させるには、チャンスを引き寄せるための努力をすべき」との主張がなされています。社員のキャリア形成に活かす際も、正しい意味を押さえておく必要があるでしょう。
それでは、偶然の出来事をうまく引き寄せるためには、どうすればよいのでしょうか。計画的偶発性理論では、チャンスを味方にするには「5つ」のスキルが必要だと主張しています。ここでは、スキルの内容を紹介します。
計画的偶発性理論では、偶然の出来事をキャリアにつなげるスキルとして、以下の5つを挙げています。
◆1:好奇心(Curiosity)......新しい学習機会を探し出せること
◆2:持続性(Persistence)......たとえつまずいても努力し続けられること
◆3:柔軟性(Flexibility)......態度や姿勢を柔軟に変えられること
◆4:楽観主義(Optimism)......「新しいチャンスは必ず実現できる」と前向きに考えられること
◆5:冒険心(Risk Taking)......結果につながるか定かではなくても、リスクをとって行動できること
つまり、チャンスをつかむためには前向きに学習し、行動し続けることが重要ということです。そして、「自分はこれだけしかやらない」と決めつけず、柔軟に考え方を変えられることもチャンスを招くポイントでしょう。
計画的偶発性理論では、5つのスキルでチャンスをつかんだ実例として、アメリカの人気漫画家が紹介されています。彼は漫画家になりたいと思い、TVで偶然見かけたプロの漫画家に自分の作品を送りました。するとプロから作品を激賞する旨の返事が送られてきたため、彼は大手出版社に自分の作品を提出することにしたのです。
ただ、最初は冷遇され、掲載には至りませんでした。彼は諦めずに、その後も作品を出版社へ送り続けます。その結果、見事雑誌に掲載され、爆発的なヒット漫画を世に送り出せたのでした。「プロ漫画家へ手紙を書いてみる」という好奇心と冒険心、「アドバイスを受けてすぐに出版社へ作品を送る」という柔軟性、「根気よく何度も出版社へ作品を送り続ける」という楽観主義と持続性が、彼に漫画家という夢をかなえさせたともいえるでしょう。
計画的偶発性理論がなぜ今重要視されているのでしょうか。
ここでは、時代的な背景も踏まえて理由を解説します。
日本では景気の低迷によって、終身雇用による長期雇用が崩壊しつつあります。社員はキャリア形成を企業任せにできなくなり、自律的に自分の進路を切り開いていく必要が出てきました。ただ、急にキャリアの選択を迫られ、路頭に迷ってしまう人材も少なくありません。その際、「キャリアは偶然の連続でできている」「行動や学習によって偶然を味方につけることができる」という計画的偶発性理論は、社員にとってひとつの道しるべになります。そのため、社員の不安を和らげるためのアプローチとして、徐々に人材育成の場へ浸透し始めているのです。
技術の進化やビジネスモデルの革新、新型コロナウイルスの流行など、多様な変化が世の中で起こっています。こうした状況では、個人が積み上げてきたキャリアや将来のイメージが、一気に崩れ去る可能性も否定できません。「自分の仕事が数年先にはなくなるかもしれない」という不安を抱く社員もいるでしょう。その際、「変化を柔軟に受け入れる姿勢を持とう」「自ら偶然を作りだせるように行動しよう」という計画的偶発性理論の考え方は、社員の不安軽減につながります。そのため、同理論を社員のキャリア形成に活かす企業も少なくありません。
計画的偶発性理論を社員のキャリア形成につなげるには、どうすればよいのでしょうか。ここでは、1on1やキャリア面談などで社員の相談に乗るシーンを想定して、計画的偶発性理論を活用するプロセスを紹介します。
キャリアに不安を感じる社員は、この先どう行動すればよいか迷っているケースが多いです。そのため、まずは行動のきっかけとして、いかに予想外の出来事が自分のキャリアに影響を与えてきたかを知ってもらうことが大切でしょう。例えば、「どんな出来事がきっかけで今の仕事に就いたのか」「きっかけを引き起こすために、どんな努力をしたのか」「努力の原動力は何だったか」などを問いかけます。自分の行動が無自覚のうちにチャンスを招いていることに気づいてもらえれば、新しい行動に向けて社員に前向きなマインドセットを促せるでしょう。
新しいキャリアを形成する際には、漠然とでも目指す場所がある方が望ましいです。そのため、「こうなりたい」「こうありたい」という姿を社員に思い浮かべてもらうことから始めましょう。その際、特定の職業に絞ってしまうと、予想外の変化に対応できなくなってしまいます。だからこそ、「社会貢献につながる仕事がしたい」「周囲から頼られる人になりたい」など、シンプルな言葉で将来のビジョンを表現してもらうことが大切です。
社員のなかには、たとえ目指すべき場所が決まっていてもなかなか行動に移せない人もいます。その際は、行動を阻害している要因を特定し、克服できる方法を一緒に考えることが大切です。行動を阻害する要因として、主なものは「失敗やリスクへの恐れ」「一度失敗したことによる挫折」「変化することへの心配」「未経験のことに挑戦する不安」などが挙げられます。こうした不安に対しては、「過去に失敗から学んだことはあるか」「もし挑戦しなかったらどうなるか」などの問いに答えてもらうことで、挑戦に向けて背中を押してあげられるでしょう。
最後はチャンスをつかむための行動を考え、社員に具体的なアクションプランを検討してもらいます。行動は決して大げさなものでなくても、できる範囲のことから始めてもらうことが重要です。例えば、「インターネットで関連情報を調べてみる」「その仕事に就いている社員に話を聞いてみる」「関連資格のスクールを調べてみる」などが挙げられます。実際、計画的偶発性理論のなかで紹介されている実例も、最初は小さなきっかけであることがほとんどです。そのため、まずは最初の一歩をどうするか一緒に考え、社員に行動を促すようにしましょう。
ここまでは、計画的偶発性理論の概要を解説してきました。本章からは、先日開催された野田稔教授のセミナー『期待されるミドルシニアの活躍』より、偶発性をつかむための具体的な施策について抜粋して紹介します。
――「偶発性を計画的につかむために推奨したいのは、越境的学習である」と野田教授は語ります。越境的学習とはどのような内容で、どのような効果があるのでしょうか。
計画的偶発性理論というのは、いきなり大きな行動は求めてはいません。小さなことをたくさん積み重ねて、チャンスをつかみましょうという考え方です。だからこそ、新しいキャリアを始めようと思ったときには、いきなり転職や起業を目指すのではなく、小さくてもよいのでプロアクティブ行動や学習から始めることが大切です。
そのうえで推奨したいのが、越境的学習です。越境的学習とは、会社の枠を超えて学びの場を得ることをいいます。例えば、副業・兼業やプロボノ・ボランティア、本格的な趣味、スクールや大学院での本格的な学びが代表的でしょう。一度会社から飛び出して越境的な学習をしてみることが、偶発性をひとつでも多くつかむコツです。
越境学習についてより詳しく知りたい方は「越境学習とは?代表的な"6つ"の手法や効果を高めるポイントを解説!」をあわせてご一読ください。
越境的学習では、さまざまな能力が身につくことが分かっています。例えば、チームマネジメント力やセルフグロース力、アントレプレナーシップ(起業家精神)、ミッションドリブン力、スタビリティ(人間としての安定感)などが挙げられるでしょう。もちろん、すべての人が越境的学習で成功するとは限りません。ですが、一度会社の外に出てみることは、自分の「枠」(可能性を狭めてしまうこと)を捨て去るためにも有効な行動です。
――野田教授いわく、越境的学習で成功する人には特徴があるのだそうです。その特徴とは何でしょうか。
特にミドル・シニア社員にありがちなのが、越境的学習の場でも会社での地位を引きずってしまうことです。例えば、「自分は部長だったので」と何かにつけて主張しようとする人がいます。ただ、一回会社の外に出たら新人です。何もかも素人という気持ちで、新しい学習を楽しめるようなマインドセットになることが大切でしょう。
また、「では」を連発する人も越境的学習ではうまくいきません。例えば、「うちの会社ではね」「うちの組織ではね」と固定観念を押しつけてしまう人です。ですが、会社の外では自社の組織のルールや常識は通用しません。新しい学びを享受する姿勢を持つようにしましょう。とはいっても、今まで積み上げたことが何も活かせないかといえば、そうではありません。社内での役職や立場は一度脇に置いたとしても、自分の知識やスキルは越境的学習の場でも使えます。強みを活かして活動に取り組むことで、「自分の能力はこんな場面でも人や社会の役に立つんだ」という新たな可能性に気づけるでしょう。強みを発揮し、自分だけの"椅子"を作ることは重要です。
――越境的学習に加えて、「ワークショップ」への参加も偶発性をつかむチャンスなのだそうです。なぜワークショップがキャリア形成において有効なのでしょうか。
新たなキャリアデザインを目的としたワークショップに参加することも、偶発性をつかむチャンスになります。というのも、年をとっていくと客観的に自分を認識する力が弱まってくるものです。昔は多様な価値観を持っていたのに、つい直近の固定的な価値観で話をしてしまうことも多くなります。だからこそ、ワークショップを通じて他人から客観的に見てもらうことで、「自分の気づいていない自分」に気づける良い機会になるでしょう。キャリアデザインについて詳しく知りたい方は、「「"未来逆算"のキャリアデザイン」が社員を変える?専門家の語るキャリア設計術とは」も合わせてお読みください。
野田教授自身も、キャリアデザインのワークショップを主催しています。そのワークショップでは、まず自分史を書いてもらいます。昔好きだったことや得意だったことを徹底的に書き出してもらい、その人の根源的な嗜好性「原点のCAN」に気づいてもらうのです。これは生涯ベースをなすような嗜好性で、大人になっても仕事選びに影響を与えている重要な要素です。そのうえで、解決したい社会の「不」(不便や不満)や社会にもたらしたい「楽」も書き出してもらいます。大事なのはここからです。それらをほかの参加者に見てもらって......
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計画的偶発性理論によるアプローチが有効なのは、「環境の変化についていけずモチベーションが下がっている」「将来に希望を見いだせずにくすぶっている」という状況に陥っている人材です。こうした社員については、あらためて活性化に向けた施策を導入することも大切でしょう。当社では、「ローパフォーマー再活性化研修」や「ミドル・シニア活性化研修」をはじめとする豊富な研修サービスを提供し、人材一人ひとりの動機づけや活性化をご支援しています。社員のキャリア形成に課題をお持ちの際には、ぜひお気軽に当社までお問い合わせください。