「先の読めない社会情勢のなか、社員のモチベーションが日に日に下がっている」
――そんな悩みを抱える企業も多いかもしれません。
特に今はリモートワークの浸透で社員一人ひとりの働きぶりを把握しづらく、社員の意欲やエンゲージメントを高めるのはますます難しくなっています。社員のキャリア不安に効くようなアプローチ方法はあるのでしょうか。
実はこうしたNew Normal時代の悩みに対するひとつの解決策が、「プロティアン・キャリア」です。外部環境の変化に合わせて柔軟に働き方を変えられるキャリアモデルは、"キャリアの処方箋"として注目を集めています。そこで今回は、ダグラス・ホールのプロティアン・キャリアを現代によみがえらせた田中研之輔教授(法政大学)に、プロティアン・キャリアの実践方法を聞きました。今回は「そもそもプロティアン・キャリアとは」「従来のキャリアとの違いは」から解説する【特別版】でお届けしますので、最後までお付き合いください。
プロティアン・キャリアとは、1976年にボストン大学経営大学院のダグラス・ホール氏によって提唱されたキャリア理論です。具体的には、社会や経済などの変化に対応しながら、自らの働き方や能力を柔軟に変えていける変幻自在なキャリアを意味します。ちなみにプロティアンという言葉は、ギリシャ神話に登場する神「プロテウス」が由来です。プロテウスはときに火となり、またあるときは水や獣にもなる、変幻自在な神といわれています。
プロティアン・キャリアの特徴は、組織内での地位や給与を目的とせず、自己成長や充実感などの心理的な成功を目指すことです。終身雇用の崩壊によって組織内でのキャリア形成に限界がきている今、注目を集めています。
ダグラス・ホール氏によれば、プロティアン・キャリアは「アイデンティティ」と「アダプダビリティ」という2つのメタ・コンピテンシーで構成されています。ここでは、それぞれの概念の意味について解説します。
アイデンティティとは、自分の欲求や価値観、能力を正しく認識していることを意味します。特に現在は技術の進化によって従来の仕事がAIにとって代わられたり、事業構造の変化で職種が失われたりするケースも増えてきました。だからこそ、社員には自分の能力を正しく理解したうえで、柔軟に仕事を選んだり、必要な能力を開発したりする姿勢が求められているのです。自分らしいキャリアを形成するには、深い自己理解が欠かせません。
アダプダビリティとは、変化する環境に対して「適応コンピテンス」(「反応学習」「探索」「統合力」の3つ)と「適応モチベーション」を持つことを意味します。それぞれの概念については、以下のような意味です。
◆反応学習:時代や環境の変化に合わせて、新しい学びを得ること
◆探索:自身のアイデンティティを知ろうと努力すること
◆統合力:アイデンティティと行動の一致を図ろうとすること
◆適応モチベーション:上記3つの適応コンピテンスを発展させ、状況に適応しようとする動機のこと
つまり、外部環境の変化に対して柔軟に自身をアップデートさせ、自分らしいキャリアを築いていこうとする意欲・能力のことです。時代が目まぐるしく変わる現代においては、環境変化への理解と適応能力が欠かせません。
プロティアン・キャリアは1976年に発表された理論ですが、時代の変化に伴って年々注目度が高まってきています。ここでは、プロティアン・キャリアが重要性を増す理由とは何なのか、時代背景も踏まえて解説します。
従来は終身雇用で長期的な雇用が保障されていたため、多くの人材にとっては組織内でいかに高い評価を受けるかがキャリアの目的となっていました。ただ、バブル崩壊やリーマンショックの影響で景気の低迷が続く今、終身雇用を維持できなくなる企業も増えています。そのため、企業としても不測の事態に備えなければいけない時代になりました。だからこそ、社員には自らキャリアを築いていく自律的な姿勢を持ってもらう必要があります。自律的な姿勢を持ってもらう方法やポイントについては「「自律型人材を育てるには、"組織内キャリア"を脱却せよ」田中研之輔教授の語るCX論とは?【動画つき】」で詳しく解説しております。
新型コロナウイルスの流行によって、多くの企業が打撃を受けました。東京商工リサーチの調査(※)によれば、2021年における上場企業の「早期・希望退職」募集人数は6月3日時点で1万人を超え、リーマンショック以来のハイペースとなっています。こうした状況では、いつ事業構造が大きく変化するかは分かりません。そのため、企業として社員にプロティアン・キャリアの実践を促し、より柔軟な能力開発と適応を促す必要があるのです。
※参考:「早期・希望退職」募集、業種が二極化|東京商工リサーチ
現在は長寿化に伴い、「人生100年時代」ともいわれています。昨今では70歳までの雇用確保が企業の努力義務となり、人材の働く年数は延び続けているのが現状です。企業としてはいかに社員に中長期的なキャリア戦略を促し、年齢に関係なく高いモチベーションで働いてもらえるかが求められています。その点、プロティアン・キャリアを推進することで、時代に応じた柔軟な成長を社員に促し、パフォーマンス向上につなげられるでしょう。
プロティアン・キャリアセミナーの導入事例もあわせてご覧ください。
プロティアン・キャリアと従来のキャリアには、具体的にどのような違いがあるのでしょうか。
ここでは、日本の雇用における現状と照らし合わせながら解説します。
キャリア形成の主体は、従来のキャリアでは「企業」だったのに対し、プロティアン・キャリアでは「個人」とされています。つまり、プロティアン・キャリアでは、キャリアの選択権や決定権を社員本人が持つということです。日本の状況に照らし合わせれば、今まで社員の配置や業務を決定する権利は会社が握っていました。ただ、終身雇用が崩壊している今では、キャリアの選択権を社員個人へと移譲すべき状況へ変わってきているのです。
仕事での成果を測る尺度についても、大きな違いがあります。従来のキャリアでは「地位や給与」、プロティアン・キャリアでは「心理的成功」です。つまり、これまでは成功の尺度が評価や報酬といった「対外的なもの」だったのに対し、プロティアン・キャリアでは自分の「内面」における満足感が指標になったということです。
組織内外への人材の移動頻度は、従来のキャリアでは「低い」、プロティアン・キャリアでは「高い」のが特徴です。組織内での成功にとらわれないのがプロティアン・キャリアの特徴でもあるため、組織外への移動も頻繁になります。また、職種や業務を社員本人が選択できるからこそ、「組織内」での移動も活発と言えるでしょう。
アイデンティティの基準にも違いがあり、従来のキャリアでは「他人からの尊重」や「組織認識」、プロティアン・キャリアでは「自尊心」や「自己認識」です。というのも、従来のキャリアにおいては組織内での昇格や昇給が成功の尺度だったため、社員は「組織内でいかに尊敬されているか」「どんな役割を果たすべきか」で自分の価値を測っていました。ただ、プロティアン・キャリアでは必ずしも社内での評価にとらわれません。そのため、「自分で自分をいかに尊敬できるか」「自分は何がしたいのか」が自己認識の判断基準になるということです。
アダプダビリティ(適応能力)の方向性も大きく異なり、従来のキャリアでは「組織に関連する柔軟性」、プロティアン・キャリアでは「仕事に関する柔軟性」です。というのも、従来は社員が組織内のキャリアに依存していたため、「組織で生き残る」ための適応能力が必要でした。ただ、プロティアン・キャリアでは社内外を見据えたキャリアを築くことになるため、「市場内で生き残る」ためにどう適応していくかが求められているのです。
プロティアン・キャリアというキャリア理論は、時代に合わせてアップデートが試みられています。近年は法政大学の田中研之輔教授が当理論を発展させ、「現代版プロティアン・キャリア」を発表しました。ここでは、ダグラス・ホール氏のプロティアン・キャリアと田中教授の現代版プロティアン・キャリアの違いを解説します。
現代版プロティアン・キャリアとは、ダグラス・ホール氏の「プロティアン・キャリア」論に、リンダ・グラットン氏の著した『LIFE SHIFT(ライフシフト)』(※)の枠組みを融合させた独自のキャリア理論です。「アイデンティティ」や「アダプダビリティ」といったプロティアン・キャリアの基本的な考え方は踏襲しつつ、キャリアを過程ではなく「資本」ととらえ、戦略的な思考で積み上げていくべきと説いているのが特徴と言えます。
※『LIFE SHIFT ――100年時代の人生戦略(The 100-Year Life: Living and Working in an Age of Longevity)』著/アンドリュー・スコットとリンダ・グラットン(2016)
現代版プロティアン・キャリアでは、キャリアを単なる移動の履歴ではなく、資本の蓄積ととらえています。資本には3つの種類があり、スキルや資格などの「ビジネス資本」、職場や友人とのネットワークを意味する「社会関係資本」、金銭や不動産などの「経済資本」です。現代版プロティアン・キャリアでは、企業は人材一人ひとりに将来のキャリア像を明確にさせ、それに向けてキャリア資本を積み上げさせることが重要とされています。
現代版プロティアン・キャリアのもうひとつの特徴として、キャリアを「戦略的」にとらえるという考え方があります。経営戦略や事業戦略を考えるように、企業が人材一人ひとりのキャリアについても緻密な戦略を練るべきという考え方です。例えば、「社員にどんなキャリア資本を蓄積させ、今後のキャリアに転換させるのか」「どんなフィールド(部署や職種)を選択させるのか」を企業側が熟慮し、社員に対し助言すべきだと主張しています。「キャリア開発はなぜ効果が出ない?専門家に聞く"3つの課題"と解決策」もあわせてご覧ください。
ここまでは、ダグラス・ホール氏のプロティアン・キャリアと、田中研之輔教授の現代版プロティアン・キャリアについてそれぞれ概要を解説してきました。では、現代版プロティアン・キャリアを推進することで、企業にどのようなメリットがあるのでしょうか。また、人材育成の現場で実践するには、どうすればよいのでしょうか。
ここからは、田中研之輔教授の特別セミナー『変化対応力とキャリア自律』より、現代版プロティアン・キャリアの効能や、人材育成の現場における実践方法について抜粋して紹介します。
プロティアン・キャリアは大前提として、「組織内キャリアからの脱却」を提唱しています。そのため、終身雇用や年功序列、ピラミッド型の昇格制度のままで何もかもがうまくいっている会社に、プロティアン・キャリアは必要ありません。「終身雇用が制度疲労を起こしてしまっている」「組織内キャリアに限界が来て、社員の生産性やモチベーションが低下している」という会社にこそ、ぜひプロティアン・キャリアを推進してほしいのです。
田中教授が提唱する現代版プロティアン・キャリアは、これまでのキャリア論を継承しています。まずキャリア論のルーツは、エドガー・シャインの「キャリアアンカー」にあります。それを発展的に継承したのが、ダグラス・ホールの「プロティアン・キャリア」、マーク・サビカスの「キャリア・アダプダビリティ」です。
ホールのキャリア論は「上位層2割:中間層6割:下位層2割」の組織構造のうち、「上位層2割を強化せよ」というアプローチでした。また、サビカスは逆に「下位層2割を活性化させよ」と主張しています。では、田中教授はどうかというと、中間層6割に目をつけたのです。「目の前の業務はきちんとやっているけれど、シンボリックな成果は出せていない」「新しいことをやると出る杭として打たれそうなので、挑戦できていない」という、"くすぶっている層"に対してアプローチすることで、組織のパフォーマンスを向上させることができると考えています。
――田中教授は、「現代版プロティアン・キャリアは、キャリアで悩んでいる人に効く処方箋」だといいます。具体的には、企業や社員にとってどのような効能があるのでしょうか。
プロティアン・キャリアの利点は、個人と組織の関係を良くできることにあります。というのも、従来は「キャリア=組織内キャリア」だったため、枠組みに適合できない社員や昇格に限界を感じている社員が不満を抱えていたのも事実です。だからこそ、プロティアン・キャリアで社員に自律を促すことで、社内の地位や給与に縛られず主体的にキャリアを形成してもらえるようになります。結果として、組織へのエンゲージメントが上がるというデータもあるのです。旧来のキャリア構造が、いかに社員のポテンシャルを抑制していたかが分かります。
プロティアン・キャリアの特徴は、心理的な成功をキャリアの目的としていることです。従来のキャリアにおいては、「社内での評価を得ることが最優先のため、仕事を楽しむことは二の次になっている」「周囲からの評価が気になって一歩踏み出せない」という人も少なくありません。プロティアン・キャリアを推進することで、社員に仕事そのものの面白さを感じながら働いてもらえるようになるため、モチベーションの向上が期待できます。
組織内キャリアでは、「昇格・昇進」が労働の主な目的です。ただ、当然ながら社内のポジションは限られているため、年次を経るにつれていずれ昇格も限界を迎えてしまいます。結果として、キャリアに行き詰まり、不活性化に陥る中高年層を生み出してしまうのです。その点、プロティアン・キャリアであれば中高年層にも組織内キャリアからの脱却を促すことができ、新たなキャリアを選ばせることで再活性化へつなげやすくなるでしょう。
――「現代版プロティアン・キャリアの実践方法は、社員の年代ごとに変わってくる」と田中教授は主張しています。その具体的な方法とは、どのようなものなのでしょうか。
若年層に当たるファーストキャリア形成期は、不透明なキャリア展望に悩まされるケースが多いです。特に今はNew Normalで会議や研修がほとんどオンライン化してしまい、組織への帰属感が薄れている若手社員も増えています。「給料はもらっているけど、会社の一員である実感がない」「今後どうやって会社でキャリアを築けばいいのだろう」と不安になっているのです。そのため、若年層に対してはまず社内教育を徹底することが大切です。例えば、「この組織内でどんなキャリアを描けるのか」を、研修で明確化してあげることが望ましいでしょう。社内でのキャリア展望やロールモデルを示してあげることで、社員の前向きなキャリア形成をあと押しできます。研修については「キャリアデザイン研修の効果とは?効果を最大化させる4つのポイント」で詳しく解説しています。
ミドル・シニア層は企業内での昇格が止まり、現状のポジションに安住してしまいがちな人たちです。こうした社員たちの成長を止めないためには、「社外」で刺激を受けてもらうことも有効です。例えば、ある企業ではキャリア奨励金を用意して、社員に社外研修への積極的な参加を促しています。また社外で新たな経験を積んでもらったあとは、「学んだことを社内でどう生かすか」という戦略を立ててもらうことも重要です。戦略的にキャリアを構築していく重要性に気づいてもらうことで、ミドル・シニア社員の再活性化につなげやすくなるでしょう。
そして、最も重要なのがポストオフ(役職定年)後の社員です。ポストオフ後の社員を活性化するためには社外とのつながりをつくることが鍵となります。大企業で培ったキャリア資本をもとに、ベンチャー企業の経営支援にまわる、あるいは、新規事業の壁打ち役をつとめるなど。これまでの経験を社外で活かしていくことで、自らのキャリアにあらためて向き合えるようになるのです。......
※この続きは、下記のセミナー動画にて視聴できます。無料ですので、お気軽にご視聴ください。
プロティアン・キャリアを実現するには、社員の自律を促せるような仕組みを社内で整えることが大前提です。その際、人材育成の専門会社へ依頼することで、より効果的な制度設計ができるでしょう。当社では、人材採用から育成、評価、最適化まで人事課題へトータルに支援を行っています。自律型人材を育てるための制度策定やプロティアン・キャリアに関する研修の提案が可能ですので、プロティアン・キャリアの推進をご検討の際はぜひお問い合わせください。プロティアン・キャリアセミナーの導入事例もあわせてご覧ください。