近年、プロティアンキャリアに代表されるキャリア自律支援に注目が集まっている。本HR Cafeでもオムロン エキスパートリンク様の事例が紹介され、キャリア自律支援を行う企業が増えている。しかしながら、キャリア観に代表される目に見えないものに対して研修を行うことに不安を感じている企業も多いのではないだろうか。実際、費用対効果が見えにくいことは、多くの企業や人事担当者にとって研修実施のハードルとなっている。そこで今回は、定量的な調査結果をもとにプロティアンキャリアなどの効果を検討していく。特に本コラムでは、従業員の「感情・価値観・態度」への施策を便宜的に「マインド面」への働き掛けとし、その効果を紹介していく。
本コラムで紹介させて頂くのは、公益財団法人 日本生産性本部で実施したサーベイ調査の結果である。本調査では、企業の人材投資と生産性の関係を調査するため、従業員サーベイを実施している。対象は、日系企業と外資系企業の日本支社に勤める2,300名(日系:1,347名、外資系:953名)の正社員である。具体的には、20代から40代の若手層を中心に、企業が行う「能力開発支援」、「組織開発支援」、「自己啓発支援」の人材投資と、従業員の「主観的な生産性」がどのような関係にあるのかを分析している。
本コラムでは、上記調査の中で行った「プロティアンキャリア志向」と「次世代リーダー候補の自覚」の2つ効果について紹介していく。
まず本コラム読者の皆さんが最も気になるのは、プロティアンキャリアに代表される自律的キャリア支援の効果ではないだろうか。社員が自律的キャリア観を持つことは、仕事に肯定的な影響をもたらすのだろうか。
今回、自律的キャリア観の強弱(プロティアンキャリア志向の強弱)によって、社員の満足感や態度にどのような差があるのかを分析した。具体的には、プロティアンキャリア志向に関する複数の質問項目について2,300名に回答してもらい平均値を算出した。次に、全体の平均値を基準としてプロティアンキャリア志向の高いグループと低いグループの2つに分割し、両グループ間で「ジョブ・エンゲージメント」、「経営理念の共有」、「離職意思」、「主観的な生産性」にどのような差があるのかを検証した。今回は特にt検定という統計手法を用いて、プロティアンキャリア志向の高低によって平均値に有意な差があるのかを分析している。
分析の結果、「離職意思」を除く全ての項目で統計的な有意差が確認された。具体的には、プロティアンキャリア志向が高いグループの方が、「ジョブ・エンゲージメント」、「経営理念の共有」、「主観的な生産性」の平均値が有意に高いということである。また、「離職意思」に有意差がないということは、プロティアンキャリア志向と離職意思の高低には関係がないことを示唆している。もちろん、本調査の結果のみで断定することはできないが、「自律的キャリア観が高まると社員が離職しやすくなるのでは?」という危惧を抱いている人事担当者にとっては朗報といえるかもしれない。プロティアンキャリア志向が高いことによって、「ジョブ・エンゲージメント」、「経営理念の共有」、「主観的な生産性」に有意な差が出ることは、自律的キャリア支援の実施を支持する結果であるといえる。
マインド面への働き掛けの2つ目は、「次世代リーダー候補の自覚」である。今回の調査では、「あなたは現在、所属企業の次世代リーダー候補になっていると思いますか」を聞いている。これに対し、「はい」、「いいえ」、「候補になっているか分からない」の3つから選択をしてもらった。その結果、「はい」が418名、「いいえ」もしくは「候補になっているか分からない」という回答が1,290名であった。
今回、「はい」と答えた回答者を「次世代リーダー候補自覚あり群」、それ以外の回答者を「次世代リーダー候補自覚なし群」として両グループの比較を行った。その結果、プロティアンキャリア志向と同様に、「ジョブ・エンゲージメント」、「経営理念の共有」、「主観的な生産性」で統計的な有意差を確認することができた。換言すれば、「次世代リーダー候補自覚あり群」の方が、上記項目の平均値が有意に高いということである。
この次世代リーダー候補の自覚については、さらに追加調査を行っている。具体的には、次世代リーダー候補の自覚あり群に対して、候補であることを「組織から正式に通達されたか」を確認している。調査の結果、418名の中で組織から正式な通達があった者が275名、正式な通達はなかった者が143名であった。本調査ではこれを「通達あり群」と「通達なし群」として、再度、平均値の差の検定を行った。その結果、「ジョブ・エンゲージメント」、「経営理念の共有」、「主観的な生産性」の全ての項目について有意差は確認されなかった。つまり、次世代リーダー候補であることの通達有無は関係がないということである
以上の結果から、次世代リーダー候補の自覚については、通達の有無や実際に候補であるかよりも「本人の自覚」が重要であるといえる。言い方を変えれば、本人が次世代リーダー候補だと自覚するだけで、仕事に対するコミットメントや主観的な生産性に肯定的な影響を及ぼす可能性がある。この結果は今後のタレントマネジメントの考え方や施策にも重要な示唆になるのではないだろうか。マインド面への働き掛けを行い、いかに多くの社員に次世代リーダー候補の自覚を持ってもらうかが、社員の満足感や組織の生産性を左右することにつながるかもしれない。
本コラムではマインド面への働き掛け例として、「プロティアンキャリア志向」と「次世代リーダー候補」の自覚を取り上げ、その効果について紹介を行った。今回は平均値の比較のみであるため、背景にある因果関係やメカニズムについては不明確な部分も多い。しかしながら、「プロティアンキャリア志向」や「次世代リーダー候補の自覚」などのマインド面の在りようが、各種の重要な変数において差を生む要因となっている事実は興味深い。
私がこのコラムを通じて伝えたいことは、今後は従来の「スキル面」の育成と共に、感情・価値観・態度などの「マインド面」への働き掛けを充実させていくべきではないか、ということである。もちろん、日本企業においてもマインド面の働き掛けが行われていないわけではない。企業理念の浸透活動をはじめ、社員総会や社員旅行、社内の運動会なども広義にはマインド面への働き掛けと捉えられる。企業のヒアリング調査からも、各々の施策自体はよく考えられ、充実したものとなっていた。しかしながら、これらのマインド面への働き掛けを「組織的・体系的」に行い、精緻に効果測定を行っている日本企業はほぼ皆無であることも今回の調査から明らかになっている。
マインド面のへの働き掛けは成果や費用対効果が見えにくいという特徴があるため、二の足を踏んでしまう企業も多いかもしれない。しかしながら、今回の調査から見えてきた重要な点は、スキル面の育成と共に、マインド面への働き掛けが社員の満足感や生産性向上のカギとなる可能性である。今後は、スキル面の育成とマインド面への働き掛けを「両輪で回す」ことが、人材投資の1つのテーマになるのではないだろうか。そのような状況の中で、「プロティアンキャリア志向」や「次世代リーダー候補の自覚」は、マインド面への働き掛けの対象として有望な領域になることが推測される。
参考:生産性レポートVol.17|公益財団法人日本生産性本部
日本企業の人材育成投資の実態と今後の方向性
~人材育成に関する日米企業ヒアリング調査およびアンケート調査報告~
2004年、同志社大学卒。株式会社リクルートHRマーケティング(現:リクルートジョブズ)にて、法人営業、人事業務(主に新卒採用)に従事。2005年度全社MVP賞。2009年から大学院に戻り、2011年一橋大学大学院商学研究科経営学修士コース修了。2017年、同研究科より博士(商学)。
2018年から多摩大学に着任し、主にキャリア教育を担当。また、2020年から東京都立大学大学院客員准教授として「ヒューマン・リソース・マネジメント」等のMBAコースの講義を担当。専門は人的資源管理。主著に「若年者の早期離職」中央経済社。